津 野 吉 徳
( Yoshinori Tsuno )
三年千日 〜 五分の成人を目指して
当教会ホームページを訪問頂きましてありがとうございます。
令和元年に教会長を拝命し、早4年目に入らせて頂きましたが、拝命当初より新型コロナウイルスによるパンデミック、そして事情教会御目標様のお戻しと大きな節をお見せ頂き、心の成人に励ませて頂く毎日です。
当教会では、昨年一年を「年祭活動の準備期間にしたい」との大教会長様の思召しの下、活動方針にありました「新しいことにチャレンジしよう」に則り、まずはこの道を歩ませて頂く中、自分が救かっているとの実感が得られているのか。道を通る喜びを感じられているのか否かに目を向け、まだ実感がないのであるならば、まずは自分が実感できるようになる事に焦点を絞り取り組ませて頂きました。
その喜びの根本は「感謝」を見つけ口にしてくことであり、諭達御発布を受け、
「どのような困難な道中も、親神様のお心のままに、心明るくお通り下された。・・・どんな中でも親神様の大いなる御守護に感謝して通ることを教えられ」
とのお言葉を拝し、教祖が艱難苦労の中を心明るく通られ示して下さった「ひながた」実践の大切さとワクワク感をもって歩み出しをさせて頂きました。
しかし、年始より突然のコロナ感染を御守護頂き戸惑いましたが、症状も軽かった為か、ようやく流行りに便乗できたと色々と呑気に思案を巡らせながらゆっくりとした時間をすごさせて頂きました。
また同月24日は、妻とおぢばに帰らせて頂く途中、淡路島が大雪で通行止めとなり、翌日の昼過ぎまで足止めとなりましたが備えも十分に車中泊という妻には初めての経験をさせて頂くことができ、年祭活動のっけから色々と御守護下さるなと思いながらおぢばに帰らせてさせて頂きました。
26日の祭典時に一月の出来事を思い返していますと、丁度10年前の年祭活動では、教区青年会委員長を拝命する中、初めて経験する年祭活動でしたので、兎に角思いつく限りの事を実行し、さあいざ年祭という二日前にインフルエンザに感染し泣く泣く130年祭の参拝を断念し、前会長夫婦と信者の方々が大雪の中を出発する姿を窓越しに妻子と三人で見送った苦い経験が頭をよぎり、130年祭が感染症と大雪で終わり、140年祭の歩み出しが感染症と大雪で始まる様に一連の流れのようなものを感じ、130年祭に帰れなかった悔しさを糧に年祭活動を頑張って140年祭には帰ってこれるように頑張れと教祖が背中を押して下さっている気がして、大変心を勇めて頂きました。
この度の年祭も人救けは勿論のことながら、成人をさせて頂くことが年祭の意義で、その根本は「ひながた」の実践にあると思案しています。教祖の、どんな中も喜びをもって明るくお通り下さったそのお姿を心に描きながら、昨年の活動を継続し
「一里の道も、急いて行っては、しんどいと言わにゃならん。十里の道でも、ぼち/\行けば、その日に行ける」
とのお言葉を物差しとして、三年後には今の自分より五分(少し)の成人を目指し、焦らずゆっくり確実に、先にある希望を楽しみに歩ませて頂きたいと思います。
「三日の間の道を通ればよいのや。僅か千日の道を通れと言うのや。千日の道が難しいのや。ひながたの道より道がないで。・・・・・・三年辛抱すれば、落ちようと思うても落ちられん。・・・・・僅か三年の間の事を、長う取るからどんな理も出る。 たった三日の間や。三年の道通れば、不自由しようにも、難儀しられやせん。たった三日の間や。」
年祭という親の温かなありがたい親心に篤く御礼申し上げます。
Education
2019.9.26
教会長就任
1997-2001
天理大学体育学部
1994-1997
天理高等学校
大学を卒業した2001年にはアメリカ同時多発テロ、結婚したのが2011年1月で、直後に東日本大震災が発生し両方共多くの人々が出直されました。
会長就任の翌年1月15日に日本で初めての感染者が確認され新型コロナウイルスのパンデミックが始まる等、人生の節目において大きな変化を世情にお見せ頂いています。
大学ではスポーツ学コースを専攻し生理学を始め様々な身体に関する学びをさせて頂きました。この頃より身体の不思議さを感慨深く思い、卒業してからも独自で学び今日まできましたが、やはり身体という神からのかりものは素晴らしく無限の可能性を秘めた素晴らしい存在であるとより深く感じています。
三年間の寮生活では沢山の事を学ぶことができました。それは今も生き続ける掛け替えのない宝物です。